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140430.朝4時、中桐万里子さん、NHK深夜便で話す

 投稿者:取徳万象  投稿日:2014年 5月 2日(金)07時13分29秒
返信・引用
   関西以西では、あまり縁がない二宮尊徳に、関東にきてからご縁ができて、
 ついには、国際二宮尊徳思想学会という会に関係するところまで進みました。
 想定外--人生の面白さです。

 その関係で、尊徳さんの子孫と友人知人になり、その1人が中桐さんという才媛です。
 その人が、NHKで話をしたということを後で聞き残念に思ってましたが、
 NHKが再放送をやってくれるというので、今回は、聞きました。

 ただ、この時刻が朝4時。目覚ましをセットして起きました。
 話の内容は、たとえ4時であっても、皆さんに事前に紹介しておくべきでした。
 後悔してます。

(1)NHKラジオ深夜便の案内
(2)伊勢崎での中桐さんの講演ポスター
  http://blogs.yahoo.co.jp/sakurajinyapoo/33979171.html から
(3)中桐さん、鈴鹿市で講演中。
  http://www.scs-3.org/news/news1_1022.html  から

***************


 
 

130906一寸先は光

 投稿者:取徳万象  投稿日:2013年 9月 7日(土)11時06分23秒
返信・引用
    一寸先は闇だ、というのを真理だと、思い込んでいた。
 が、そうでない、と反論できる人もいる。この意外性、お伝えします。

   出典:やなせたかし,天命つきるその日まで,アスキー新書

  ------------------

 

130206日本経済新聞夕刊に喜君Lの留学記事

 投稿者:取徳万象  投稿日:2013年 2月 6日(水)22時41分39秒
返信・引用
   今日の日本経済新聞夕刊に大連民族学院の二宮尊徳研究所に関する記事がでました。
題して、「経済の倫理」世界が注目 古き教えを生かす(6)

 神奈川県小田原市の報徳博物館。二宮尊徳の思想や業績を伝えるこの施設で中国・大連民族学院の講師、喜君さんは尊徳に関する著作の翻訳作業をしている。昨年8月に来日。館に通い、中国語に訳した文章をパソコンに打ち込んでいる。

 大連民族学院の指導教授の講義で尊徳思想に触れたという喜さん。「最初は尊徳が人名を指すとも思わなかった」と笑う。「でも自分なりに勉強してみると、これは今の中国で必要とされ、広まる可能性のある思想だと感じました」
 荒廃した農村の復興に尽力した尊徳の手法は報徳仕法と呼ばれる。地域の状況を綿密に調査したうえで支出の限度を決め、余剰は蓄えたり他に譲ったりする「分度推譲」の実践が特徴だ。経済の発展と道徳心の育成を一体化して進める重要性も説いている。
 「中国は農業大国。農業が主要産業の地方の振興には報徳仕法の考え方が役立つと思います」と喜さん。1990年代に報徳博物館を訪れた中国の大学教授が思想に注目、中国に戻って研究や翻訳を続け、周囲に尊徳を学ぶ学生や研究者が増えていったらしい。
 関心の高まりを受け2003年には日中や韓国の研究者らによる国際二宮尊徳思想学会が設立され、これまで5回、日中双方でシンポジウムを開いてきた。学会の事務局になっている報徳博物館には中国から研究者が切れ目なく留学している。館長代理の斎藤清一郎さんは「他の思想との比較をしたり、特定領域を深く調べたり、様々な研究が出ている」と語る。
 昨年秋に中国で開催予定だった第6回のシンポジウムは尖閣問題の影響で中止になったが、近年は北京大学の教授らの働き掛けで中国の知識人らに分度推譲論など尊徳の思想の学習が広がっていたという。
 国際学会の会長を務める並松信久京都産業大教授は「中国は急激な経済発展の半面、拝金主義のまん延や貧富の格差が大きな問題になっている。経済倫理を根付かせたいという考えが尊徳思想への関心につながっているのでは」と話す。
 海外が注目するのは尊徳思想だけではない。心学を経営に生かしている京都市の老舗には最近、中国やロシアの研究者が調査に訪れた。近江商人の理念普及を目指す滋賀県の三方よし研究所にも海外で紹介するための問い合わせが増えているという。経済発展と倫理の両立という課題に向き合った教えは時代を超え、国境を越え伝わりつつある。

(1)日本経済新聞の記事
(2)二宮尊徳の著作を翻訳する喜君さん(神奈川県小田原市)



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121212スカイツリーからの眺望

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年12月13日(木)00時38分21秒
返信・引用
   今日、快晴。
 創立110年記念の牛首別報徳会視察団の人々は、本日スカイツリーを見て、十勝に帰る予定。

 これを機会に、塔上とりつけられたライブカメラを探したところ、ありました。

 300m付近にとりつけられたカメラのようです。さすがに高い!!
  (横浜ランドマークタワーは、建物のてっぺんが297M,展望台は少し低いところにあり)


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121211牛首別報徳会110周年記念視察団を迎えて

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年12月13日(木)00時36分2秒
返信・引用
   二宮尊徳の孫、二宮尊親の代は、明治維新があり、報徳活動は大きな制約を受けました。明治30年にいたり、北海道豊頃町の地を開拓する事業を開始。

 そこに入植した人たちが、報徳会を結成。今年で110年目を迎えました。そこで尊徳の生誕地などを視察するために、視察団が上京してきました。 それを迎えました。

 この記事は、個人的過ぎるかもしれないが、110年も継続してやっている活動があることを、紹介したく、掲示板に載せます。

(1)会食後、残った人々と記念撮影
  東京都江東区にある、ホテルイースト21の21階のレストランで
(2)ホテルイースト21の21階からスカイツリー
(3)ホテルイースト21の21階からの風景

  ***************************************

 

121126尊徳の孫が開拓した,北海道豊頃町の雪

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年11月27日(火)00時34分32秒
返信・引用
   寒くなりました。
 北海道、十勝地方ではマイナス10度になったという情報もあり、どういう風景か、気になりました。

 以下の写真が、豊頃町役場の風景です。
 雪は、それほど積もってはいません。画像では、温度は把握できませんが、結構寒いらしい。

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120831横浜西口・あおい書店,本棚

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 9月 1日(土)20時57分10秒
返信・引用
   以下の本のコーナーを見つけました。

(1)自分史のコーナーができている
  そうした、自分を振り返り、意味を求める時代になってきている
(2)自分史の本の下には、幸福指数のブータンに関する本。

 documentation  documentation  documentation  documentation

 

120616二宮尊徳研究所060807

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 6月16日(土)00時26分52秒
返信・引用
   問い合わせがありましたので、大連にある尊徳研究所の写真をアップします。

(1)国際二宮尊徳思想学会第3回学術大会(大連)の会場、大連民族学院
(2)外国語学院の入っている建物
(3)二宮尊徳研究所の看板

research-center  research-center  research-center  research-center

 

120416伊倉氏と、片平信弘 氏の紀行文

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 4月16日(月)00時42分9秒
返信・引用
   杉山報徳社の片平社長が、報告書を書かれていますが、その写真にも、伊倉氏、片平氏が並んで撮った写真がありした。

  report  report  report  report

 

120408伊倉隆嘉 氏の紀行文

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 4月 9日(月)07時31分57秒
返信・引用
   伊倉隆嘉氏が掛川市の北京・二宮尊徳考察団の一員として中国訪問され、その紀行文を書かれていますので掲載してみます。

  report  report  report  report

 

Re:120406R伊倉隆嘉氏の写真 

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 4月 6日(金)07時30分2秒
返信・引用 編集済
  > No.31[元記事へ]

ペンネームⅠさんへのお返事です。

> 伊倉隆嘉氏追悼文が載せられています。
>  pass-away  pass-away  pass-away  pass-away
>
*************************************************

 伊倉隆嘉氏が掛川市の北京・二宮尊徳考察団の一員として中国訪問された時の、送別会で撮影した写真を見つけましたので、アップロードします。

 memorial  memorial  memorial  memorial



 

120404伊倉隆嘉氏逝去

 投稿者:ペンネームⅠ  投稿日:2012年 4月 4日(水)14時04分30秒
返信・引用
   「月間報徳」2012年4月号に、伊倉隆嘉氏追悼文が載せられています。

 転載します。

 pass-away  pass-away  pass-away  pass-away

 

120214SonyReaderPRに負薪読書像

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 2月14日(火)02時18分1秒
返信・引用
  日本では、薪を背負い、読書する像は、二宮金次郎以外にありません。すごいシンボルです。

ロダンの「考える人」以上、ケンタッキーフライドチキンの「カーネルおじさん」以上の、
他の追随を許さぬモニュメントです。

肖像権はとっくにきれていますから、いくらこれを使っても文句をいう人はいません。

ですから、Sonyが売り出すReaderについても、かくのごとく、使われていました。

尊徳思想のかけらもありません。 横浜駅西口のヨドバシカメラ店で撮りました。


 reading  reading  reading  reading  reading

 

120122カウンター設定

 投稿者:取徳万象  投稿日:2012年 1月22日(日)06時47分15秒
返信・引用 編集済
  2012年(平成24年)1月22日、朝6時、カウンターを設定しました。投稿をお待ちしています。  

報徳学園百周年記念式典・シンポジウム

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2011年 4月17日(日)14時01分44秒
返信・引用
   神戸新聞、および、下記のURLから抜粋して、報徳学園設立100周年記念式典・シンポジウムの情報をアップロードします。

http://nishinomiya-style.com/blog/page.asp?idx=10000373&post_idx_sel=10032619



≪記事≫

 創立100周年を迎えた中高一貫校の報徳学園(西宮市)が16日、同市甲子園高潮町のノボテル甲子園で記念式典を開いた。県内の私学や近隣学校、行政関係者、保護者ら約300人が、記念日を盛大に祝った。
 同校は1911(明治44)年、現在の神戸市東灘区に実業家の大江市松氏が創設。二宮尊徳の教え「以徳報徳」に基づいた教育を実践してきた。野球やラグビー、陸上、柔道、相撲などスポーツも盛んで、全国大会でも輝かしい成績を残している。
 式典の第1部では、神奈川県の松沢成文知事が「混迷日本再生 二宮尊徳の破天荒力」と題し、勤勉勤労の素晴らしさ、本物のマニフェストなどについて講演。記念シンポジウムでは参加者が「徳、長所を引き出す教育活動を」「学園から尊徳を超える人材を輩出してほしい」などと意見を出した。
 第2部では、同学園の大谷勇理事長が「人を育てることが報徳の存在意義。次の100年に引き継いでいきたい」などと述べた。続く祝宴では、参加者が思い出話や教育談義に花を咲かせた。
(金山成美) (2011/04/17 09:00)

 

110327二宮尊徳のことが中国の教科書に

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2011年 3月27日(日)22時48分2秒
返信・引用
   神戸新聞2011年2月3日に、下の記事が掲載されました。
 

ジャクビランガ市、二宮金治郎像の除幕式-1

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 7月11日(日)00時26分29秒
返信・引用
  ****  

ジャクビランガ市、二宮金治郎像の除幕式

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 7月11日(日)00時24分31秒
返信・引用
  続き  

ジャクピランガ市、二宮金次郎像の除幕式-2

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 7月10日(土)23時20分31秒
返信・引用
  続き  

100706王秀文Dの月刊「報徳」2010.2への寄稿文・「「道徳」と「報徳」を考える」

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 7月 6日(火)23時09分31秒
返信・引用
  孔子の「以徳報徳」という言葉は、儒教の中核的な思想として東アジアで共有されているが、この思想を幅広く世の中に応用した人で、古今東西を通して二宮尊徳が最も名高い、と私が思う。
 「以徳報徳」といっても、本人に道徳がない人であれば、報いることは考えられない。基本的な概念として、「道徳」の「道」とは、自然界の構造、運動、変化などの規則であり、社会の客観的な発展と変化の規則である。これに対して、「徳」とは、自然、社会と人類の需要に順応して勤めることによって、自然、社会と自分の事業を発展させることである。すなわち、「道」に背かずに、自然と人類の末永い発展と調和共存のために尽くすのが「道徳」であり、そうする人が「道徳のある人」であるという。
 二宮尊徳を知ったとき、即座に心が惹かれたのがまさにそのところであった。徳のある人より、「徳の高い人だな」と思った。人生の不遇に負けず、勉強に励み、「積小為大」から精励して自分を鍛え、成長させ、そして勉強や実践によって得た自分の経験を「至誠」「勤勉」「分度」「推譲」という報徳思想に昇華させて、人々の心田開発と世の中がよくなるための指導に当てて、生涯を終えた。二宮尊徳の一生は「道」を求め、「徳」を積むことに努めた一生であり、そしてその高尚な徳をもって世の中のために報いた一生であってこそ、最も尊敬される存在となったと思われる。
 誰でも、偉いと思ったら学びたくなるし、そして、そのようにしたくなるはずである。
二宮尊徳の何を学ぶべきか。私の思うに、それは彼の、何をするにしてもまず世の中のため、人々のためを思う思いやり、心掛けではないかと思う。自分のためを思うか他人のためを思うか、人生を見詰める「人生観」、価値を判断する「価値観」が違ってくる。他人のためを思うなら、当然「至誠」も伴うし、「勤勉」も考えられるだろうが、自分のためを思うなら、「至誠」も「勤勉」も話にならない。中国の現在では、詐欺事件や偽造品、不良品などが多いといわれているのが、利益を求めるに手段を択ばずという道徳喪失から生じた現象ではあるが、要するに自分のためばかり思っているから「至誠」どころか、いかに働かずにして得るかという結果でもある。こういうことをする人間は、「道」にも背いているし、「徳」もない人間としかいえず、その行為を世の中から排除しなければ害になるのである。
人間は世の中を構成する一分子である。自分の事業、生活をよくしようと思うのは当たり前だが、しかしそれは、「道」に位置をつけて考えなければならないものである。すなわち、自分のやろうとすることが自然、世の中と他人のためになるかどうかをまず判断し、それから、それを勤めることによって自分がどれほど成長できるか、どれほど人生の価値が実現できるかを考えるべきである。自分の利益はどうなるかとなると、それは求めるものより、報いられるものなのだと考えればよいと思う。
これに関して、二宮尊徳が例に挙げられた「湯ぶねの湯」の話は最も分かりやすいと思う。「これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向こうの方へ流れ帰ってしまう。これを向こうの方へ押してみれば、湯は向こうの方へ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。すこし押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。」世の中の自他関係・利害関係についてのごもっともな話だと思う。向こうへ押すほうは「譲る」といって仁であり義であって、手前にかき寄せるほうは「奪う」といって不仁であり不義である。そして、「奪うに益なく譲るに益あり、譲るに益あり奪うに益なし、これが天理なのだ。」と教えられている。
この話は、二宮尊徳の「分度」「推譲」の理論を分かりやすく説明した話でもあると思うが、人間互いにこういうことができればこそ、自分も豊かで幸せになるし、世の中も健康で平和になるはずである。健康で平和の世の中がなければ、豊かで幸せな自分もないと考えるのが、正しい人生観・価値観ではなかろうか。
しかし、人間にはできることが限られているし、「分度」「推譲」できるものも限られている。具体的に何を、どうすればよいかといえば、やはり与えられた仕事か事業を、否応なしに「至誠」「勤勉」という精神でに尽くせばよいと思う。世の中では、いつも自分がしたいからできるわけもないし、自分がしたくないから止めるわけもない。いわゆる好き嫌い勝手にはできないということである。時々、嫌いでもやらなければならないということはなぜか、それは世の中にとって必要としているからである。もともと好きでない、与えられた仕事、事業を成し遂げるうちに、自分も鍛えられるし、立派に成長できるし、高く認められるし、そして利益が来ることによってより幸せになるものだと思う。
 私に与えられた仕事は、教育という事業である。最初から好きだから選んだわけでもなかった。1976年当時、質素な教育の仕事より、きっと盛んになるだろうと見込まれる日中交流の第一線に立って、たとえば、外交とか貿易とかという見栄もよく、収入も良い仕事をしたかった。けれども、日本語を教える教師の数も足りなく、「なってくれ」といわれるとき拒めなかった。その次考えることは、教育の本質とは何か、教育者の基本とは何か、いかにして期待される教師になれるか、などで、そして全心身を投げ込んで33年もやってきた。それを、まさに日中交流の重鎮だと気づいてきた今、「報徳」のつもりでやったことが、却って報いられた気がするようになっている。

筆者:大連民族学院教授、国際言語文化研究センター長、文学博士
 

100701二宮尊徳廻村の像・入魂式100531

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 7月 1日(木)22時04分38秒
返信・引用
  西宮にある報徳学園・大谷勇理事長から、尊徳さんの現実に活動した時の姿を描いた、「廻村の像」が小田原の報徳二宮神社に寄贈されました。その像は境内の鳥居の(拝殿に向かって)左側、負薪読書像の奥におかれています。この像の入魂式が2010.5.31、財団の理事・評議会の後、報徳学園中学校の村上朋之校長参列のもとに行われました。

写真は、
(1)二宮尊徳・廻村像
(2)入魂の儀
(3)村上先生の玉串奉呈
 

100630財団法人・報徳福運社理事会・評議員会開催100531

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 6月30日(水)22時49分17秒
返信・引用
  尊徳さんが始めた小田原での報徳仕法、それは小田原藩としては大久保忠真公の逝去により途中で、中断したのですが、それが小田原報徳社となり、これも時代が推移するに従って解散しましたが、4大弟子である福住正兄の子孫ほかによって㈶報徳福運社が作られ、現在も活動をしています。報徳博物館はその財団の活動の1つです。

その財団の理事・評議員会が2010.5.31に報徳博物館3階会議室で開催されました。この会では、平成21年度の決算、22年度の計画が承認されました。

以下の写真は、議長、出席理事・評議員の様子です。
 

100617並松会長と清華大学日本語学科・馮峰主任100514

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 6月17日(木)01時05分36秒
返信・引用
  清華大学-東京大学ウィークのために、東大に来られた馮峰Pと、国際二宮尊徳思想学会・並松信久会長が会いました。今後の交流が望まれます。

写真は、まず、宿舎・フォレスト本郷で挨拶し、その後、安田講堂下にある中央食堂で、会食しながらの懇談でした。食事は結構いけましたよ。
 

100615環境倫理シンポジウム案内

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 6月15日(火)22時03分22秒
返信・引用
  大阪教育大学名誉教授・山内友三郎先生は、環境倫理、道徳判断などが専門ですが、友人であるカリコット教授が6月21日に奈良女子大で講演されることもあり、以下のような案内を作られました。掲示します。時間の都合のつく方は、検討してください。  

100613清華大学日本語学科教官の報徳博物館訪問100514

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 6月13日(日)09時47分32秒
返信・引用
   5月14日、清華大学-東京大学ウィークのために来日した清華大学日本語学科・馮峰主任、陳愛陽助教授、 と日本に滞在中の馮 海鷹 助教授、王 燕 助教授が、小田原に来られました。今年8月の第5回学術大会にも出席されます。
下の写真、左から、・王 燕 助教授、馮 海鷹 助教授、馮峰主任、陳愛陽助教授、
日本側は、草山理事長、小笠原報徳博物館館長 でした。
 

江戸時代の思想家が大事にされているのに驚きました

 投稿者:とりえとりえが、むすばれてメール  投稿日:2010年 5月29日(土)20時33分9秒
返信・引用
   今回、二宮尊徳先生をお祭りする神社にお招きいただき、参列することができました。清華大学にいる教官としては初めてのことといわれました。

 人々のために1850年ごろまで、活動し、現在もたたえられている人物の存在のあることに改めて驚いています。更に、二宮尊徳を知らない日本人は恥だという武者小路実篤の言葉に驚きました。安藤昌益とは別の切り口での活動に大いに興味を持ちました。

さらに、勉強してみたいと思っています。
 

100529佐々井信太郎・典比古父子展100415

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月29日(土)01時05分15秒
返信・引用
   報徳二宮神社の春の祭礼、直会の後、報徳博物館で開催中の『佐々井信太郎・典比古父子展』を見ました。

(1)現代報徳をひらく『佐々井信太郎・典比古父子のあゆみ』案内はがき
(2)報徳博物館地下1階の会場におかれた佐々井信太郎氏の胸像
(3)外国人見学者4人
 

100527直会会場での交流100415

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月27日(木)01時28分26秒
返信・引用
   もう何回も毎年4.15の祭礼に来ている人ばかりですから、新しく来た人は、それらの人に会うのが大変でした。初対面で、どういう人か全く分からないのですから。清華大の先生方には、ともかく、できるだけ多くの人に会ってもらいました。そのうちの3枚だけをアップロードします。

(1)大石正光参議院財政金融委員長、草山昭㈶報徳福運社理事長、報徳博物館館員の方々
(2)尊徳5代孫・ 二宮精三氏
(3)尊徳子孫、7代目?、中桐万里子先生(臨床教育学)と尊徳研究の話
 

100526清華大学日本語学科の先生が初めて参加100415

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月26日(水)01時23分22秒
返信・引用
   清華大学の日本語学科と国際二宮尊徳思想学会の交流を続けてきましたが、今回初めて、報徳神社の祭礼に出席されました。2人とも、日本国内の大学に招聘され、現在、首都圏に滞在中で、この機会を生かしました。

(1)初めての出席についての挨拶。左:馮先生、右:孫先生
(2)お神酒の体験
(3)大連からの報徳博物館留学研究員;張先生、孫先生のお姉さん、孫先生のお子さんと。
 

100525直会の開始

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月25日(火)23時49分12秒
返信・引用
   草山明久宮司の挨拶で、「なおらい」の開始。こっちの方が参列者は楽しい。少しの挨拶はあっても、その後、参列者での久しぶりの交流があるため。

(1) 尊徳玄孫・二宮精三氏の挨拶
(2)参議院財政金融委員長・大石正光先生の挨拶
(3)今回の食事――おいしかった。
 

拝殿内での祭事2

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月24日(月)02時02分32秒
返信・引用
   参列者それぞれが拝礼。二礼二拍手一礼。

(10)神職の拝礼
(11)一般の人の玉串奉呈
(12)神殿での祭事終了・散会
 

並松信久VPの月刊「報徳」2010.3への寄稿文・「ノーベル賞と報徳思想(下)」

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月18日(火)06時41分17秒
返信・引用
  前回の「ノーベル賞と報徳思想(上)」で語った岡田良平(以下は岡田と略す)総長の取り組みは、わが国の大学では、おそらく初めてのことであり、岡田は知徳両面を備える学生の育成が必要であることを訴えて、実施をよびかける。もちろん、これらは二宮尊徳(以下は尊徳と略す)の報徳仕法や、岡田良一郎の冀北学舎がモデルとなっていたことは言うまでもない。岡田が着手した具体的な施策に共通する点は、学生の自主性や勉学意欲を高めるということであった。この点で岡田は自由討究的な教育、とくに実地調査や実地研究を重視していたといえる。しかしながら岡田は京都大学(以下は京大と略す)の場合に、そういった学生の自主性を重視する教育が、教授の「手抜き」につながる可能性もあると考えたようである。岡田は学内を巡回して講義を視察している。この方法は尊徳の復興仕法のやり方に通ずるものであるが、教授のプライドを痛く傷つけた。しかし世の中は広い。日本で唯一人だけ、岡田のやり方を評価した人物がいた。それが当時、金沢にいた哲学者の西田幾多郎であった。
岡田の復興仕法は、自由気ままに研究教育をやりたい教授のいる京大では、当然のことながら評判が悪い。岡田と教授陣とは徐々に対立を深めていくが、それを決定付けたのは1908(明治41)年7月に岡田が総長のままで、文部次官兼任となったことであった。教授陣からは岡田排斥運動が起こる。対立を示すひとつの逸話が残っている。卒業生の謝恩会の席上、あいさつに立った岡田は、卒業生に向かって卒業後も勉学に努めよと訓辞する。そのあいさつの後、ひとりの教授が立って、私も卒業のときに同じような訓辞を受けたが、その通りに努力したばっかりに、現在は俗吏の下で働く運命になってしまった。諸君、勉強するのも考えものだと言ったとされている。岡田と教授陣との間には、かなり険悪なムードが漂う。
京大は田辺朔郎(京都では琵琶湖疏水の設計・建設者として著名である)教授らを東京に派遣して、岡田総長の解職を迫る。当時の小松原英太郎文部大臣と交渉するが、当然のことながら解職を断られる。そこで翌日、派閥の領袖である山県有朋と交渉した結果、岡田の退職を勝ち取る(山県と田辺は琵琶湖疏水の件で面識があった)。岡田は総長職をわずか10ヶ月足らずで降りる。岡田総長の退職は、京大にとってまことに喜ばしいことであった。これまでの挫折によるストレスが解消できただけでなく、「大学の自治」あるいは「大学の自由」が守れたのである。ただしストレスは解消できたのかもしれないが、コンプレックスは残り続ける。岡田総長退職事件は、京大の歴史にとって忘れがたい出来事となったが、岡田の総長就任時は奇しくも尊徳が幕末の疲弊した農村を救おうとした状況ときわめて似ていたものの、その結果が大いに異なっていた。京大では村民である教授が大学復興から目をそむけ、ひたすら自分の領分を守ろうとし、復興のリーダーであった岡田を退職に追い込んだ。
ところでノーベル賞への道は、京大の自由討究の気風が後押ししていることはまちがいない。しかしながら、それは単純に京大の創設当時の気風がそのまま伝えられたわけではない。多分に逆説的な言い方であるが、報徳思想に基づく復興を遂行しようとした岡田らの努力も、大きな貢献をしたといえなくもない。
岡田総長が後世に残した教訓がある。岡田が行なった復興仕法は、現在わが国の多くの大学で取り組まれている事業に反映されている。もっとも反映されているといっても、岡田の復興仕法をモデルにして各大学が新規事業を立ち上げているわけではない。さらに各大学の事業では、岡田がこれらの取り組みの根本に置いていた学生の自主性や勉学意欲が高まったとは必ずしもいえない。おそらく、自主性や意欲の高まりがなければ、事業を実施する意味はない。岡田総長はそう言うにちがいない。今後ともわが国がノーベル賞をめざすとすれば、自主性や意欲の高まりが最初の一歩となることは確かである(益川教授はそれを「科学へのあこがれ」と表現する)。脈絡はいささか異なるが、「二宮金次郎像」こそ、自主性や意欲を象徴的に表現したものではないだろうか。
しかしながら最近では嘆かわしいことに、自主性や意欲を高めることよりも、それ以前のことが問題となっている。京大は相次ぐ薬物事件を受けて、来年度(2010年度)から新入生に「社会常識」の教育をすると発表している。岡田総長が訴えた徳育の重視は、ほぼ100年目にして、やっと実を結んだ。京大では岡田総長と同時期に「教師には人格が大切だが、大学では学術によって学生を鍛えるので、人格の最低限度は学力である」と言った教授がいたが、「優秀な学生」「世界的な研究業績」という権威主義的なイメージの一人歩きが、思わぬ落とし穴をつくっていた。岡田は大学復興の際に、おそらく権威主義的なイメージだけでは復興は無理だと考えていたにちがいない。岡田の主張や施策は、学生にとって何が必要かという点から出発している。
最後に今後、京大関係者の何人がノーベル賞の栄誉に輝くかわからないが、思い出してほしいのは、ノーベル賞の受賞は京大が創設期に味わった挫折の結果であり、報徳思想を活かした大学復興は意図しない形で、受賞を助けたことになったということである。
 

並松信久VPの月刊「報徳」2010.2への寄稿文・「ノーベル賞と報徳思想(上)」

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月14日(金)00時19分44秒
返信・引用
   ノーベル賞と報徳思想、一見すると何らの関係もない。「ノーベル賞受賞者が実は報徳社社員でした」という話も聞いたことがないし、「報徳社がノーベル賞を受賞する」といううわさも聞いたことがない。しかしながら両者は、まんざら無関係でもない。2008(平成20)年にノーベル物理学賞に輝いた益川教授が在籍する大学(京都産業大学)に、報徳思想の研究者(何を隠そう私自身)が所属しているという安易なことを言うつもりはないので、念のため。
 歴史をひも解けば、ノーベル賞と報徳思想は見えない赤い糸でつながっている。この糸は少しねじれていたり、他の糸がからまっていたりするが、確かにつながっている。どのようにつながっているのかをお話したい。
わが国でノーベル賞受賞者を、よく輩出している大学は?と尋ねられれば、多くの人は京都大学(以下は京大と略す)と答える。しかし、この答えは今や不正解である。最も多くの受賞者を出している大学は東京大学(以下では東大と略す)である。過去には京大が多かった(京都出身あるいは京大所属が混ざる)時期もあるが、今や東大出身者が最も多くなっている(ちなみに益川教授の出身大学は名古屋大学である)。またしても二番目の位置に甘んじなければならない京大の思いは、やや複雑である。しかし京大にとって二番目というのは決して悲観すべきことではなく、過去を振り返れば、この位置をバネにがんばってきた。
アンチ東大の合言葉で京大(厳密には京都帝国大学)は創設された。今を去ること103年前の1897(明治30)年であった。日清戦争の賠償金を元手に、わが国で二番目に設立された大学として、使命感に満ち溢れていた。負った使命は主に四つあった。一つは研究業績を上げること。二つは独創的な教育を行なうこと。三つは高文試験の合格者を多く出すこと。四つは国政へ参画すること、であった。この使命を負って京大は東大に挑みかかった。しかし「希望は高く溢れつつ」あった京大の歴史は、残念ながら、これらの使命がひとつずつ打ち砕かれ、挫折を繰り返す過程であった。
後ろの四つ目から、さかのぼってみていこう。四つ目の国政への参画は、京都が東京から離れているという立地条件から考えて、当初から困難であった。当時は東大教授と高級官僚との兼務(その代表的な例が一木喜徳郎)が多かったが、京大は立地の関係上、兼務は困難であった。この兼務のスタイルも、大学教授が政府の委員会や審議会に出席するというものではなく、高級官僚が仕事の合間に東大へ教えに行くというものであった。このことから三つ目の高文試験に関する結果も、大方の察しはつくが、京大が如何に努力しても、東大に追いつくことはできなかった(学園紛争時に一度だけ東大入試が中止された年があり、この学年だけは例外である)。
京大がその独自性を出そうと躍起になったのは、二つ目と一つ目である。二つ目の教育では、当時の最先端であったドイツ式の教育を導入し、演習(ゼミナール)、実地調査や実地研究を採り入れている。また大学図書館の図書貸借も認めている(東大は貸借が禁止されていた)。東大では参考書を読む学生はなく、講義の暗唱が大切とされ、これに対して京大では一科目につき原書を二冊以上読むように薦められ、自習や独学の重要性が説かれた。東大では、高文試験の出題者は東大教授であり、講義を受けて頭に詰め込まなければ、試験に合格できない。これに対して京大では、学生の発想に基づく討論や論文を重視する教育体制がとられた。東大の詰め込み型受験教育に対抗して、京大は論文作成を中心とする自由討究的な教育を推進する。一般的には、この教育体制が一つ目の使命である研究業績につながり、ひいてはノーベル賞につながったとされている。しかし、これは美しき誤解である。というのは、京大の当初の目論見は、最先端のドイツ式教育を持ち込んで、三つ目の使命を達成し、あわよくば四つ目の使命も達成しようと考えていたからである。もちろん、これはその後の歴史が物語るように達成できなかった。京大の教育上の「挑戦」はあえなく潰えた。残されたのは一つ目の研究業績だけとなった。京大は屈折した思いを抱いて、ひたすら研究にのめり込んでいく。あたかも自由討究的な姿勢こそが、研究の根本であるかのように謳いながら。
挫折後の京大へ1907(明治40)年10月に第二代総長として、学習院御用掛であった43歳の岡田良平(以下は岡田と略す)が赴任する。岡田は京大の「復興仕法」に着手する。とくに教育に力を入れ、それを研究へと結びつける工夫を行なう。具体的には、課外講演(現在の大学公開講座ないし学会)の実施、学内の清掃、卒業式の実施、学生の服装の規制、特待生制度(優秀な学生の授業料免除制度)の立ち上げ、寄宿舎の充実などであった。定員割れ(挫折後の京大は医学部以外で、すべて定員割れを起こしていた)の対策として、編入学制度の実施や入学願書の締切日の延長も提案しているが、これは出来の悪い学生が入学するという理由で教授陣から反対され潰されている。
 

王秀文Dの月刊「報徳」2010.2への寄稿文・「中国東北二宮尊徳研究所の報徳活動

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月10日(月)08時49分0秒
返信・引用
   2009.11.3、国民文化祭が静岡県で開催され、掛川では「報徳フォーラム:日中で考える報徳文化と企業倫理」と題して、パネルディスカッションが開かれました。この時パネラーとして出席した、国際二宮尊徳思想学会・並松信久会長、王秀文副会長に、「月刊報徳」に寄稿してもらうことを要請したところ、快く受諾され、2010.2号から、お2人による尊徳関連の記事が掲載され始めました。それをここに、転載したいと思います。

      ***************************************************


中国東北二宮尊徳研究所の報徳活動

                     王秀文

 「報徳」に毎月大連民族学院からの記事を掲載することになり、何を最初に書こうかと迷いましたが、まず、大学内に設立した二宮尊徳研究所について紹介しようと思います。

一、中国で始めての二宮尊徳研究所
2005年3月25日、中国東北二宮尊徳研究所の設立式が、大連民族学院大学内で行われた。この式には国際二宮尊徳思想学会の理事長・会長以下理事の殆どと、関連団体の代表、中国日本研究界・日本語教育界の代表、及び大連市政府の関係部局の責任者、大学の代表など合わせて60人と言う多数が出席し、祝賀の言葉を述べられた。それと同時に、「二宮尊徳の報徳理念と実践」フォーラムと、学会本部である報徳博物館による研究文献の贈呈式も行われ、中国において始めての二宮尊徳に関する研究所の誕生を宣言した。
中国東北二宮尊徳研究所は、同大学国際言語文化研究センターの下に配置され、日本学研究と日本語教育で知られている同大学日本語学科の教員が研究者の中核となって、大連市及び中国東北地方の研究機関と連携して報徳研究を進めていくことになっている。
二、研究所設立までの経緯
 2004年7月24日から三日間にわたって、国際二宮尊徳思想学会第二回学術大会「報徳思想研究の過去と未来」が東京・日本青年館で開催された。筆者が学会の要請により出席し、大会の後、栃木県の今市市、二宮町、桜町、掛川市の大日本報徳社など二宮尊徳の史跡や報徳仕法を見学し、また、掛川市・大日本報徳社主催のフォーラム「中国・韓国・日本と二宮尊徳」にも参加し、二宮尊徳に関しての感銘を深めていった。
この大会中、筆者が2006年の第三回学術大会を大連で開催するようにと希望を示したところ、学会の承認をありがたく得た。そして、翌年の春、大会の開催に備えて、大連での二宮尊徳研究の正当性や位置づけをアピールするべきこと、研究成果を積んでおくべきことなどから研究所の設立を提案し、まず大学側からの支持を得、それから学会の承諾と支援も得たのである。
そうこうしているうちに、2004年9月、かつて筆者が客員研究員をしていた国際日本文化研究センターの山折哲雄所長が大連を訪れられ、二宮尊徳の研究を開拓しようとの事情を報告したところ、大いに感動されて励まされた。そして、先生が「二宮尊徳に関心高まる中国」などというタイトルの文を綴り、2005年4月ごろ日本の多くの方紙に載せたことにより、大連での二宮尊徳研究の機運を高めた。その後、先生は学会の顧問就任を受諾されたり、大連での学術大会の基調講演をしたりして、中国での二宮尊徳研究に対して熱意を注いでくださった。
三、研究所の趣旨と研究活動
中国東北・二宮尊徳研究所の設立は中国で注目を集め、そして研究の拠点として期待されている。そのため、研究所として次の趣旨に基づいて役割を果たそうという方針を決めた。一つ目に、研究文献・資料を集中して、中国人研究者ために便利を提供すること。二つ目に、安定した研究チームを作り、学術研究を持続的なものにし、研究プログラムの設計・申請・推進などをすること。三つ目に、内外の研究機関・関連団体との連携・交流の窓口にし、報徳思想の影響・普及を拡大させること。四つ目に、研究情報の発信などを通してより幅広く理解・支持を得ること。
研究所が設立してから、早速、第三回国際学術大会の準備に取り掛かった。学会や大学など多大な支援をもとに、2006年8月「報徳思想と経済倫理」をテーマにした大連大会が大連民族学院大学内で盛大に開催できた。海内外からの出席者が160余名にのぼり、中国での二宮尊徳研究を新しい軌道に乗せるという成果を挙げた。
次に、所内から社会へと二宮尊徳について勉強会を組織し、論文を執筆して発表する環境を作り、修士課程の学生に二宮尊徳関係の修士論文作成を指導することによって、安定した研究グループを短期間に作り上げることができ、この体制が速やかに拡大するようになっている。と同時に、小田原の報徳博物館に研究員を受け入れていただく体制もでき、これまで研究員として4名の教師を派遣し、6ヶ月ずつの勉強を通して二宮尊徳や日本文化への理解を深めてきた。
さらに、中国語しか読めない中国人研究者から、中国語による文献がないため、高まりつつある二宮尊徳の研究や報徳思想の普及が妨げられており、ぜひその文献の中国語翻訳がほしいという要望に応えようと考え、東北二宮尊徳研究所では、2007年の初めから二宮尊徳の研究文献の中国語訳・出版を5ヵ年計画に取り入れた。すなわち、5年間かけて、日本の現代版報徳全書(一円融合会刊)の中から『訳注二宮翁夜話』(福住正兄原著・佐々井典比古訳注)、『訳注二宮先生語録』(斎藤高行原著・佐々井典比古訳注)、『補注報徳記』(冨田高慶著・佐々井典比古訳注)、『報徳生活の原理と方法』(佐々井信太郎著)、『報徳仕法史』(宮本一積著)の5冊を選んで中国語に翻訳・出版する計画であり、これによってまず基本的研究に満足できるようにすることである。この計画は、国際二宮尊徳思想学会の同意と支援をいただきながら推し進めているところである。
四、研究所の研究成果
東北二宮尊徳研究所が2005年3月に設立して以来、数多くの成果を挙げることができた。まず、二宮尊徳関係の研究論文を20編以上国内外の研究誌に発表し、これらを『二宮尊徳的思想与実践研究』と題して吉林大学出版社により出版した(2008.10)。また、『二宮翁夜話』と『二宮先生語録』の中国語翻訳を仕上げ、日本で上梓した(2008.8)が、中国での出版は2010年に吉林大学出版社により出版するようになっている。
同研究所の二宮尊徳研究は広く社会や政府にも評価され、遼寧省政府と大連市政府からは、「中国社会転型時期民族向心力的塑造及其作用―来自日本的啓示」(秦頴、2006.12-2007.12、遼寧省社会科学企画基金項目)、「二宮尊徳報徳理念与創建和諧社会之借鑑性研究」(王秀文、2007.9-2008.8、遼寧省社会科学界連合会項目)、「二宮尊徳“報徳思想”及其対落実科学発展観的啓示」(秦頴、2009.1-11、遼寧省教育庁高等学校科学研究項目)、「対大連地区“三農”問題対策的思考―来自日本二宮尊徳“報徳思想”的啓示」(孫莉佳、2009.6-2010.5、大連市社会科学院研究項目)など四つの研究プロジェクトが研究助成をもらったし、また王秀文の研究プロジェクト「二宮尊徳報徳理念与創建和諧社会之借鑑性研究」が2008年10月、遼寧省社会科学界連合会研究課題一等賞を、秦頴・王秀文の論文「二宮尊徳思想在日本社会転型時期的意義及其作用」(『中央民族大学学報』第6期、2007.11)が2009年9月、遼寧省第一回哲学社会科学学術優秀成果三等賞を獲得した。

(筆者は王秀文、大連民族学院大学教授、文学博士、大学学術委員会副委員長、国際言語文化研究センター長、東北二宮尊徳研究所創立者)
 

「とかち報徳を学ぶ会」会報のURL

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月 7日(金)11時07分6秒
返信・引用
    北海道豊頃町には、「とかち報徳を学ぶ会」があり、活動をしていますが、その会報は、以下のURLで見ることができます。

http://foron24.web.fc2.com/
 

拝殿内での祭事1

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 5月 6日(木)21時59分54秒
返信・引用
  拝殿内では、参集者一同のお祓いをした後、司会者のリードに従い、宮司一拝からはじまります。

(7)司会者のリード
(8)開扉➡供物➡草山紀久宮司の執行
(9)舞の奉納
 

拝殿への行列-2、来賓

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 4月27日(火)23時57分33秒
返信・引用
  神職に続いて、。
(4)神社責任役員・二宮精三氏、小笠原清氏
(5)大石正光・参議院財政金融委員長、榛村純一・大日本報徳社社長、加藤・小田原市長
(6)各地報徳社役員、協賛者、小田原市民
 

拝殿への行列-1、神職

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 4月23日(金)07時40分33秒
返信・引用
  お祓いを受けた後、楽師たちを先頭に、拝殿への進みます。
(1)楽師
(2)報徳神社・草山宮司
(3)遣幣使、鶴が丘八幡宮・吉田宮司
 

報徳二宮神社の春大祭

 投稿者:取徳万象メール  投稿日:2010年 4月21日(水)20時15分13秒
返信・引用
    2010年4月15日、11時から、小田原の報徳・二宮神社で春の祭礼がおこなわれました。
その様子を報告します。

(1)まず手を清めます
(2)屋外で邪気を払います

また、今回、薪を背負った金次郎像に加えて、成人した尊徳像が、境内に設置されました。
(3)報徳学園理事長から贈られた、成人後の尊徳像
 

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